コラム_第六回 - h-collection|廣島晴弥

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コラム_第六回

 

 

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コラム

 

 

モノから生まれる

暮らしのイメージ

SHAPE&DECORATION vol.3より

 

 

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 第六回

時代の流れとモノの寿命

 

 

 

時代が携帯電話からスマートフォンに移り変わって早15年ほどでしょうか。
私は現在、携帯電話(ガラケー)とスマートフォンを使用しています。

元々スマートフォンが好きになれず、ずっと拒んできましたが仕事上どうしても使わないといけなくなり仕方なく持つようになりました。確かにスマートフォンはwebもアプリケーションも使えて便利ではありますがどこか使わされているようです。

小さな画面を見ていて気がついたらあっという間に時間が過ぎていたなんてしょっちゅうです。タッチパネル自体も思うように作動ぜず、苦手です。あの小さな領域でボタンを押した感覚もなく、実際にちゃんと認識しているのかなんて疑ってしまいます。

スマートフォンの苦手なところをつらつらと書いてしまいましたが必要な機能だけを考えたら私の場合、携帯電話で十分なのです。自宅ではPCでほぼ同じことができますしその方が効率の良いことがほとんどです。

通話と簡単なメールのやりとりができて、アラームと時計がついていれば不自由はありません。 やはり物理的はボタンの操作感や通話が主体となった機能性などは【道具】としての本筋のような気がします。

その中でも長く愛用してきたINFOBAR(2)は機能面、デザイン面、ともにとてもよくできた【道具】でした。 私が手にした時はすでに発売から時間が経ちほとんど無料で手にしました。その後、壊れた時は修理しながら一昨年まで財布と共に常に持ち歩いていました。手に馴染むサイズ感と使いやすさは抜群でした。

その携帯も今年の三月いっぱいでサービスが終了します。
今まで手にした携帯電話の中で一番長く愛用していただけに寂しさもひとしおです。

モノの寿命ということを考えることがよくあります。

たとえ壊れずにずっと使い続けたいと思っていても環境が整わなくなってしまうと機能しなくなってしまう。 それも一つの寿命なのかもしれません。

電話としての役割を終えた今はベッドサイドで目覚まし時計として佇んでいます。
たまに手に取ってみると「やっぱりこれだよなぁ」としみじみ思います。

 

廣島晴弥⁡

 

 

 

 

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廣島晴弥

 

 

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