まだガラスの学校に入る前。
水の都ベネツィア。 ガラスの聖地ムラーノ島。
ひと月イタリアを歩き回ったのでした。 ローマから入り北を目指す。
ベネツィアの駅を降りた時の感動はそれはそれは。
ローマ、フィレンツェと一人旅の最中覚えたイタリア語は生きるに困らないレベルぐらいは鍛えられていた。 フェリーでブラーノ、ムラーノと渡り、片っ端からガラス屋のショーウィンドウを眺めて歩いた。
意外と好きなものに出会う事もなく、 バックパックの若者であろうと声をかけてくる客引きに疲弊してベンチに腰かけたのだった。 りんごをかじりながら… ふと向こうから犬が寄ってきて足元に伏せる。 首輪はない。 あげるものはりんごしかない。 ひとかけらポイとやる。 それはいらぬと犬がいう。 仕方ないのでまた歩き出したのだった。 そのあとを犬はついてきた。 りんご食べないくせに。
そのうち一軒のガラスのお店に入る。 犬は外にいる。 そこの店員が上の階に素晴らしいものがあると言う。 では見たいと言うと… 二階には素敵なスーツをきた男の店員がいた。 客は僕だけのようだ。 愛想よくいろいろなものを見せてくれた。 今までと比べ物にならないものを。 値段も。
これはどうだあれはどうだと言われるうちにどうにも悪い気になってきて、僕はパックパックでまだ長い道を歩かないといけない、高価なガラスを背負っていくわけにはいかないと告げた。 するとむこうは急に態度を変えて文句を言ってきたのだった。 こちらもイラッとして同じトーンで話したが向こうはさらに被せてきのでついに日本語で罵詈雑言撒き散らし机たたいて2か国3カ国語で戦う羽目に。
すると下から日本人の男の人が現れて… どうかされましたか?
いやかくかくしかじかこうでああで急に怒り出したからこっちも怒ることにしたと話したら、一言二言そのイタリア人に話かけるとむこうもかくかくしかじか… すいません、どうぞこちらへ… その対応… えらい目に遭うやつじゃねえかと思いながらこの場いる意味は見つからず付いていった。
心配とは別に無事に帰してもらったのだった。 沸き立った血を落ち着かせて表の空気を吸うとそこにはまだいる。 いぬ。 まさかと思ったが本当にまたついてきたのだった。
少し歩きまわるとふとした小道にでた。
そこに一軒の小さなアンティークショップが。 中に入ると薄暗い。 奥からアジア系のマダムが出てきた。 店内はいろいろなモノに混じってガラスも沢山ある。 さすがムラーノのだ。 ガラスを見に来たんだと話すとこの先にミュージアムがあるから行くといいと教えてくれた。
そして見せてくれたのがなんの装飾もない薄いグリーンのゴブレットだった。 それは僕の想像を超えた世界が作り出したモノだと一眼でわかる。 表の喧騒とはかけ離れた世界。 ガラス。
これはもういない、昔のマエストロの作品。
とても素晴らしいマエストロだったのよ。
これいくらですか? これを背負ってこれを守って歩くミラノ、コモ、バッサーノも悪くないかもしれない。 そう思えたのだと思う。 店を出ると 犬はもう居なかった。
その数ヶ月後僕はガラスの学校に入った。
その時の人生と同じ時間ガラスで生きて、歳も倍になった。今その作り方も知っているのかもしれない。 それでもこの薄さと厚みのコントラストは作れない。 輪郭のことじゃない。 技法のことじゃない。
そう、マダム、貴方の言う通りでした。
本当に素晴らしいマエストロだったと思います。
そういえば… まだこれで飲んだことないな。 使ってみようかなぁ。
ワインは… ブルネロ ディ モンタルチーノ ビオンディサンティ。
イタリアで出逢った最高のワイン。
加倉井秀昭
scratch&noise
加倉井秀昭