僕は父親と2人で暮らしていました。
朝食にでてくるゆでたまごはいつも小さな足付きのカップの上に立ち、それの上の方を小さなスプーンで一周かちこちと割りまして、ぱかりととりました。 上から塩をひとふり。 そのスプーンでひと口。 黄身が顔を出したら醤油を流し込んで食べてました。 食べ終わると最後にそのスプーンを突き立て、がしょり!とからの底を抜くのが僕流。
父は… 『洗うのめんどうなんだから割るなー!』 と怒ってましたが僕はやり続けました。 物心ついてそんな卵の食べ方する人は少数だと知りました。 僕が他で見たのはカリオストロ伯爵だけです。 エッグカップというものが絶滅危惧種なのはこの国のスタイルに合わなかったのかもしれません。
ある時変な道具に出会います。
『これなんに使うかわかる?』 ある日、叔母が僕に問いました。 顔は満面溢れてやまぬドヤ顔でした。 悔しくて死にそうになりましたがやはりわからなかったのでした。 それがこの道具。 まずカップを卵の頭に乗せます。 カップの上の球がスライドしますので その球を持ち上げて落とします。 そしてこの道具を外すとカップの中に卵の頭の部分がついてくるのでした。
衝撃です… 20年以上を経て自分のスタイルが肯定された気がしました。 当然エッグスタンドを探しました。 当時このシンプルでエキサイティングな道具があったとしたら… 僕が変わり者扱いされる事もなく、エッグスタンドも我が物顔でこの国の食器棚の一画を占めていたのかもしれません。
暮らしに寄り添う道具としての器。 それも素敵だと思います。 それとは別に、意識をかえ、暮らしをかえるかもしれないモノ。 そんなモノに出会えたらきっと 素敵だ。
イメージを引き出すもの。
イメージを提案するもの。
そんな思いでまたいろんなものを作って行こうかと思います。 現在の僕はほとんどを殻むいて食べてます。 めんどうなんですよ…洗うのが… がしょり! って絶対やるんで。
加倉井秀昭
scratch&noise
加倉井秀昭