コラム_最終回 - h-collection|廣島晴弥

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コラム_最終回

 

 

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コラム

 

 

モノから生まれる

暮らしのイメージ

SHAPE&DECORATION vol.3より

 

 

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 最終回

日々向かい合う道具

前編

 

カットガラスを学ぶため富山の専門学校に通い始め、授業で最初に習ったのがこの加工機でした。その頃から将来はカットの仕事につきたいと思っていたので助手さんに話を聞くと国内のほとんどの学校や工房ではこの加工機が使われているとのことでした。 

その加工機の製作されている方が毎年学内展に来ているとの噂を聞きつけこれは話を聞く良い機会だと思い、思い切って声をかけました。 

「工場のある江東区に来れば加工屋がいっぱいあるし切子の教室もたくさんやってるよ」 

と一枚の名刺を受け取りました。 せっかく伺った話でしたが学期末もバイトに時間を取られ、結局工場や加工屋さんにも行くことはできませんでした。 

それから卒業を迎え、進路も決まらぬままこれから先のことを考えていた時に先生の勧めである切子作家さんを紹介していただき墨田区の工房へ伺うことに。 

工房では加工の仕事の現状や道具のことまで伺い親身にしていただきました。これからこんな工房を回ろうと思っているんですと持参した工房のリストを見せたところ、 

「こんなにたくさん回るより黒島さんのところで話を聞いた方が早いよ。この辺の加工屋のことはほとんど知ってるから」 

とすぐ連絡をとってくれてお邪魔することになりました。 
そうです、以前学内展で名刺をいただきご挨拶をしたのが黒島さんでした。 

てっきり町工場のイメージを持ち名刺に書いてある住所を目指して歩いているとどうも駅近くの住宅街。ある一軒の住宅のガレージに目が止まりました。そこにははみ出さんばかりの大きな旋盤があり、「あ、ここだ」とやっと気づきました。 

「さっき電話くれた?まあどうぞ」 

作業の手を止め差し出されたパイプ椅子に座りこれまでの事情をお話ししました。以前学校で名刺をいただいたこと、カットの仕事につきたくて工房を回っていますとリストを渡すと 

「あーここはもうやってないよ、あそこは家族だけでやってるから人雇わないよ。」 

などなど詳しい話を聞くにつれどこも現状は厳しいのだなと諦めた時、 

「すぐ近くにある工場なら歩いて行けるけど聞いてみるか」 

とまたまた連絡をとっていただき、近くだからとおかみさんに案内もしてもらうことに。
工場に向かう道中、これまでの仕事のことなど話をしてくれました。 

それまでいろいろな部品を作っていたけど近くの職人さんにこんな機械を作ってくれないかと頼まれて始めたのが今じゃほとんどの工場で使うようになったこと。人を雇ったこともあったけどどうも仕事が気に入らなくて続かなかったことなど。 

そういえば最初に訪れた工房の作家さんもこんなことを言っていました。 

「黒島さんに欲しい道具を言えば全部言わなくても作ってくれる。黒島さんの職人の感がわかるんだろうね、職人が頼りにしている職人だから」 

この人に頼めば大丈夫。 
この人にしかできない仕事だから。 

私が職人という職業に憧れたのはそんな仕事につきたかったからだとその時に改めて気づきました。 

 

つづく

 

 

 
後編
 
 

富山の学校を卒業後訪れた墨田区、江東区での就職活動は残念ながら実らず、縁あって地元、石川の工房で働くことになりました。

もちろんその工房でもあの加工機が設備されていました。 勤めて間もない頃、黒島さんへ連絡をとった際に就職が決まったことを伝えると「ああ、そうか、就職先が決まってよかった」と言っていただきました。 

それからは細かな消耗品のやり取りや機械の具合が悪くなった時など電話口でやりとりをしてもらいましたがその都度とても緊張しました。下町の職人口調を聞くといつも背筋が伸び、あらかじめ伝えたい内容をメモしておかないと汗をかいたものです。でもそのやりとりも人柄をわかっているからこそ心地よいものでした。

そんな黒島さんももう歳だからと引退すると知り合いの作家さんから連絡がありました。 

「今、機械頼んどかないともう作ってくれないよ。」 

もしかしたらと感づいてはいましたがいよいよその時を迎えるとなるとやはりお願いせずにはいられませんでした。その後すぐに連絡をしても電話口では良い返事をもらえはしませんでした。 

「もう注文分の残りやったらやめるから作んないよ」

これは電話で話していてはこちらの思いは伝わらないと感じ、休みを使って工場まで足を運びどうしても黒島さんの機械で仕事がしたいと思いを伝えました。そんな話をしている最中も近くの工場の職人さんが出入りし機械の話をしていきました。 

しばらくの沈黙が続きもう諦めようと思ったとき 
「まあ時間かかるけど1台なら作るか、」 

との返事をいただきました。ほっとしたのも束の間、高い買い物でしたのでその後のやりくりが頭の中をかすめましたが憧れていた一生物の買い物をしたと思い直し覚悟が決まりました。こんなに一つのモノを選ぶ時に労力を費やしたのはこの機械と家の時だけです。 

ガラスを始めてから、工房勤めをしていたとき、そして独立後の今と場所や品番は違えどずっとこの機械に向かい毎日仕事をしてきました。それは文字通り暮らしを支えてくれるとても頼りになる道具。 

そして道具以上に職人としてのあり方を学ばせてくれた、その人にしか造れない唯一のモノでした。 


 

廣島晴弥

 

 

 

 

 

 

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廣島晴弥

 

 

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